#イタリア旅行記(36) ポンテ・ヴェッキオ発見

アルノ川に到着。
川沿いは建物が大人しくしてくれるので空が大きい。
川の風が爽快な気分を運んでくれる。

天気は最高。
きっと日に焼けるだろう。

アルト川の橋の上に立ち、下流に目をやる。
みえましたポンテ・ヴェッキオ!
見つからないはずはないですよね、とても印象的な建造物ですから。
しかしこうやって写真で見てもすごい存在感。
手前の橋が目に入らない。

川という不確定要素の多い場所に、よくぞこんなものを作りましたねローマ人は。
大雨とか洪水とか大丈夫なのか心配になりますが、リサーチ済みで確信を持って建てたのでしょうね。

見回すと川沿いにはたくさんのアパートが林立してイタリアらしいたたずまいを見せている。
こんな所に生まれた人々ってどんな気持ちなんだろう。
自分のうちの窓からポンテ・ヴェッキオが毎日見える…うーん憧れます。

ポンテ・ヴェッキオに向かって歩き始めると手前の橋の上にイタリアの少年少女が欄干の上で遊んでいる。
ほほえましいなあとホクホクしながらそばを通り過ぎるが次の瞬間疑った。
文化財であるだろう橋にイタズラ書きしていたのです。トホホ。
まあしょうがないよな。
僕から見れば素晴らしい芸術品でも、彼らには「うちの近くの橋」だもんね。
そう思うと、その光景さえもほほえましく見えてくる。

文化財というキャンパスに自由に描くがよいイタリアの少年よ。
そのかわりいつかダヴィンチやミケランジェロのような作品を作り、人々に幸せと感動を届けられる人間になっておくれ。

#イタリア旅行記(35) やるなイタリア!

フィレンツェ観光に動き出すが、目的地はなんといてもポンテ・ヴェッキオだ。
橋がそのままマーケットになっていて、まるで河にかかる家のような橋。
テレビで何回も見たあこがれの場所。
それを肉眼で拝む事ができるなんて、本当に光栄。

時間が少ないので本来は地図をしっかり見て、チェックしながら歩くべきだろう。
でも地図をチェックする時間もおしいので、勘でアルノ川の方角へ突き進む。
川にあたればそこからポンテ・ヴェッキオが見つかるはず。
あとは目指しながら歩けばよいのだ。

ずんずん突き進むとようやくアルノ川に出た。
まずは写真を一枚と。
たびたびイタリアの道路文化について触れてきましたが、ここでも特筆すべき事が。
バイクがしっかり同じ方向に並べられて駐車しているじゃないですか。
ルーズな国民性なんていう人いるけど、やるねえイタリア!いいじゃないですか。

ちゃんとしっかりルール守って駐車して、しかもその様が実に美しい。
彼らのもつ「美」に対する精神性がこの景色を生むのでしょうね。
これにくらべると日本の駅前は発展途上そのものの様。
カオティックが美しいレベルになれば別の価値も生まれるけど中途半端。
見習うべきところが多い旅となった。

#イタリア旅行記(34) あこがれのフィレンツェ!

時刻表の読み間違いのミスのおかげで思いがけないフィレンツェ観光。
神様の恵みとしか思えないこの機会、きっと何かが待っているに違いない。

初日のローマ、二日目のアッシジよりも俄然テンションがあがる。
足の運びが早くなり、からだの動きが軽い。
身体中に喜びというエネルギーがあふれて疲れから解放される。
人は気持ちで生きているんだと感じる。

フィレンツェの街は美しい。
ローマの市街地よりも建物が低く、空が広く見える。
建物には軒先みたいなものがついていて日本家屋をちょっと思い出す。

ここも石畳の道がやっぱり美しい。
イタリアの道は車優先にできていなく、人とモータリゼーションが共存してる感じがとてもよい。
日本の車文化は車用に道ができていて歩行者が肩身が狭いのは間違ってると常々思うのだ。

こういう場所を見るといつも思い出すのが岐阜、郡上八幡の道路。
段差のついた歩道やガードレールをなくし、バリアフリーな道にし、車と歩行者の区別をつけない道をデザイン。
そのデザインのおかげで人々はゆったり歩く事ができ、車は歩行者を気にしなくてはならずスピードが出せない。
対向車が正面に迫ってくるので譲り合いの精神も必要になる。

デザインとはまさにこうゆう事だと思う。
自分はアート派よりデザイン派である。
美しいものはより美しい機能を内包している。
その機能は、人を幸せにしなくてはならない。

#イタリア旅行記(33) フィレンツェ観光へ

フィレンツェの駅にたたずむことしばし。
乗る予定の電車が来ない。
イタリアではこういう事が普通なのかなと疑いつつも心配になる。

あわてて時刻表を見るがその電車の予定がない。
何かがおかしい。
ふと切符を見る。
「13」と「17」という文字が刻印されている。
僕はこれを13:16と解釈していた。
HISの解説プリントを参照しながらチェックする。
うーん、どうも「13」というのは日付らしい。
確かに今日は13日だ。
そして「17」が時間らしい。

やってしまった大失敗。
しばし落ち込む。

落ち込む事20秒、すぐに気分を入れ替えて次の行動へ。
まだ4時間もあるのだ。
フィレンツェ観光できるじゃないか!
こういう時のスイッチの切り替わりの早さは自分でも驚く。

左手に電車を見ながら駅舎を抜ける。
やった!フィレンツェ観光だ!
これはきっと神様が与えてくれたチャンスに違いない。
きっと素晴らしい一日になるだろう。
時刻表の間違いはもう忘れている。

#イタリア旅行記(32) フィレンツェ

アッシジから定刻通りの電車に乗る。

ここまで危ない目には遭っていなく、イタリアの空気になれてきた。
朝早い列車だから眠気もあるし、日本と同じ感覚に陥って移動中寝てしまおうかと思う。
気が緩むとはこういう事かもしれないと考え、改めて睡魔と戦う事にする。
最後まで笑顔の旅行で終えるために踏ん張りどころだ。

2時間程度でフィレンツェ駅に到着した。
電車を降りると駅のホームに美術館の看板。
さすが芸術の都だなあと小さく感動する。

同じ場所にフィオレンティーナの看板もある。
写真に使われている選手は未だにバティストゥータだ。
懐かしい。
バティは今でもフィレンツェの英雄なんだね。
いつか本場のセリエAも観戦したい。

さて、今回フィレンツェは単に乗換駅に過ぎないので、次の電車がくるまで1時間足止め。
時間つぶしにマクドナルドへ入る。

お金をセーブするために入ったのにハンバーガーと飲み物で5ユーロ。
普通のバーに入った方が安かったのはいうまでない。

さあそろそろ出発の時間。
何も見て回れなかったけど、フィレンツェは次の旅の楽しみにとっておこう。

#イタリア旅行記(31) アッシジ出立

夕食を済ませたあと、部屋で倒れるように眠る。
朝起きると布団カバーの上で目が覚める。
そのまま寝ていたようだ。

風邪をひいてないか心配だったが大丈夫。
旅先で具合が悪くなることほど怖いことはない。
今回は更生物質や花粉症薬など、あらかじめ医師に処方箋をだしてもらってきた。

旅の間、抗生物質を予防的に服用していた。
たぶん風邪やウィルスには侵されにくいはずだろう。
そのおかげかとりあえず体調も悪くならず目が覚める。
さあ、アッシジから出発だ。

ホテルにて朝食を軽く食べる。
ひさしぶりのシリアルがおいしい。
まだ朝日の光が残る頃にジオットを後にする。
城門をくぐってバスターミナルへの道を急ぐ。

バス停は見つかったが乗り方がわからずガイドブックを読む。
近くのバーでバスのチケットを購入。
バスは定刻よりちょっと遅れて到着。

乗車したらチケットに刻印をしないといけないのだが、やり方がわからず逡巡していると親切なイタリア人女性が代わりにやってくれた。
旅先でのちょっとした優しさは身にしみる。

15分くらいでアッシジ駅到着。
さあ、最終目的地ヴェネチアへ向けて出発だ。
まずは乗り換え駅フィレンツェへ!

#イタリア旅行記(30) ホテル・ジオットの夕食

夜のアッシジを散歩を楽しんだ後ホテルへ戻る。

昼間のうちにレストランをいくつか物色しておいたが、やはり小さな街でおまけにオフシーズン観光。
やっているお店が少なかった。
今夜はホテル併設のレストランで食事しよう。

出国前に父親がジオットを訪れたときの話を楽しそうにしていた。
特に食事の話は詳細に語っていた。
父ご自慢のメニューを体験し、お土産話にしようか。

レストランはとてもきれいなお店で、それなりに格式あるように見える。
がメニューの値段はリーズナブルに感じたので、コースで頼むことにする。

サラダ、パスタ、肉料理とやってくる。
サラダはパルメジャーノチーズのブロックとバジルがあえてある。
それをオリーブオイルそのものの味で味つけてある感じ。
うまい。

パスタは中に肉詰めがされてる餃子のようなパスタにクリームソースがかかっているもの。
久しぶりのクリーム系パスタは贅沢な味がする。
うまい。

肉料理は豚肉ソテーにポルチーニ茸が山盛り。
イタリアンパセリの香りが食欲をそそる。
うまい。

でも、でも、ちょっと注文しすぎてしまった。
どのお皿もピザ皿くらいの大きさでやってきて400g以上あるかなあ。
気分は大食いフードファイターに。
でもおいしかったので完食しました。

両親もこの味を体験したのかな。
パスタがうまくて写真とるのを忘れました。
お店の写真で失礼。

#イタリア旅行記(29) 夜のアッシジ散歩

しばしホテルにて仮眠をとる。
坂道ばかりのアッシジ観光はさすがに足にきた。
身体のケアをするためにお風呂に入るが、イタリアのバスタブはみんな浅くて日本人にはつらい。
ほとんど寝るような体勢で入浴し、なんとか筋肉をもみほぐす。

夕食までまだあるので、もう一度アッシジの街に出た。
夜のアッシジも風情がある。
まだ営業してる店舗もいくつかあって、店先のディスプレイが煌煌と光っている。
城壁の下の方に目をやれば町並みの夜景が広がっている。
東京の夜景になれている自分からすれば寂しく暗い夜景かもしれない。
でも美しいと思うには十分な景色だった。

東京とは全く違う時間の流れ、価値観に触れて少しずつ自分の考え方もかわってくる。
なんて忙しく目まぐるしく生活してきたのだろう。
かえったら自分の生き方や仕事を見直さないといけないと思い出す。

緩やかな時間の流れの中で、忍耐強く制作しないと完成しない作品もあるんだ。
教会建築、壁画、モザイク模様の床、城塞の街。
人間の「一生」という時間を超えて制作されたものたちが、もの作りの難しさ素晴らしさを教えてくれる。

#イタリア旅行記(28) アッシジの日暮れ

サンタ・キアーラ教会を後にして坂道を下る。
よく歩いたからさすがに疲れた。

坂道でアッシジについたばかりの観光客の方とすれ違う。
もうほとんど夕暮れ、あと1時間もしないうちに真っ暗だろう。
自分もローマの出発時間が遅かったならそうなっていたかもしれない。
やはり無理して早起きしたのは正解だった。

旅において大事なのは時間の使い方。
事前にしっかり作り込んでおくことが大切だが、現地についてからのひらめきや変更なども大切だ。

夕暮れの道を下りながらホテルへ。
途中カフェに立ち寄るがエスプレッソもケーキもまあまあの味。
トイレへの通路が鏡ばりで不気味だったのをよく覚えている。

ホテルへ到着しテラスでお茶をすることにする。
これも両親への土産話になるだろう。

肌寒い空の下、アッシジを見下ろしながらお茶をする。
眼下の教会から鐘の音が聞こえてきた。
ちょうど夕方の5時。一日の終わりを告げる鐘なんだろう。

3台の鐘が「ド・レ・メ」の音にチューニングされている。
Root、major2nd、minor3rdという密集和声の鐘の音色はまさに荘厳。
不協和音と呼ぶのかもしれないが、みごとなハーモニーで鳴っている。
音楽は不協和音こそが美しい響きを作っている。
何世紀も前につくられた鐘が不協和音のminor9thのコードで鳴っていることに感動。
一日の終わりが最上の瞬間になる音に出会えて、身のうちが震えるほど感動した。

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