イタリア旅行記(50) 本当の音楽文化

人々で賑わうサンマルコ広場を見渡すといくつかのステージが見える。
それぞれ幌に守られてステージ前にはカフェテーブルが。
その周りには執事風にスーツを着こなしたエレガンテな男性がきびきびと働いている。

カフェ、というよりはホテルの従業員という雰囲気に見えた。
カフェテーブルが美しいシンメトリーに並べられる。
どこからファインダーを構えても絵になるので思わずたくさん写真をとってしまう。

人々が開店したお店に腰をおろし、エスプレッソを楽しみにはじめると、ステージではそれに合わせたように音楽がはじまった。
ピアノ、バイオリン、ビオラ、アコーディオン、クラリネットによるクインテットによる演奏だ。
バイオリンとビオラが小気味よく絡み合う。
そのメロディを従えてクラリネットがソロをとる。
優しい木管の響きがステージを包み込む。
ピアノはあくまでもトライアドを使った誠実なハーモニー。
クラシック音楽への愛情を感じるハーモニゼーションは誰の耳にも心地よい。
アコーディオンがとびきり陽気にリズムを牽引する。
クラシックのクインテットとは思えないファンキーな演奏に、サンマルコ広場が包まれてゆく。
その場にいる全ての人が、ものが輝きだす。
やっぱり音楽の力はすごい。

この光景が365日、サンマルコ広場では毎日毎日続いてゆくのだろう。
本物の音楽文化がこの場所に息づいていて、人々の善意と理解、愛情がその文化を支えている。

日本にこのような文化を宿した場所があるだろうか?
いや、残念ながらないのが現状だ。
ヴェネチアの広場に音楽があろうがなかろうが、世界遺産の街のカフェの儲けは変わらない。
観光客は湯水のように吹き出してくるし、なんの企業努力もいらない。
そこで営業してさえいれば生きてゆけるのだ。
それならば演奏家なんていない方が良い、もしくは音楽CDでもかけておけば用は足りる、というのが合理主義、資本主義国家のイディオムだ。
今の日本はまさにその通り、どこに音楽文化を育む場所があるのか。

サンマルコ広場のホテル、カフェは訪れたゲストを音楽という最上の芸術でもてなしている。
演奏家を雇い、その場所を素敵な場所にする責務を負い、きちんと遂行している。
音楽家もその期待に応え、素晴らしい演奏をおしみなく披露してくれる。
これぞ音楽!これこそ文化!
イタリアの人々に惜しみない拍手を送りたい。

日本は音楽文化後進国だ。
音楽それ自体のレベル、演奏家のレベルは高いのに、文化が全くついてきていない。
それは国、行政の責任であり、社会貢献しない企業の責任であり、また我々市民の責任である。
次の10年の間にサンマルコ広場のような文化をこの日本は作り出せるのか。
そして市民はそれを理解し、受容することができるのか。
イタリアの演奏家を羨望のまなざしで見つめる一方、日本の怪訝な文化に生きる自分を思い、せつない気持ちに苛まれる。

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